ENERGY SPORTS

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第11話

【フル開放】 「本日からよろしくお願いします!」 新入生 新生活 高校新1年生になった私は 新たな気持ちで卓球部に入部しました 中学3年間 バスケットボールを 頑張ってきた人たちと レギュラーを争えるか不安で またもや 仲の良かった 中学時代の卓球部の先輩がいたから そんなチキンハートの持ち主である私 その実力をフルに開放し 大方の予想に反することなく 卓球部に入部しました 入部してみると・・・ うわっ! ○○中学エースの ○○さんがいる! うわっ! ○○中学の あの人と同じチームだ! 中学時代 とても恐れ多くて 話も出来なかった他校の先輩もいて これから同じ部活動 同じチームで過ごすことに 気おくれもフルに開放した 入部初日でした 同級生は同じ中学の卓球部1人 その他は卓球未経験の仲間たち あれっ? 苦楽を共にしてきた 中学卓球部の仲間も 一緒に入学したはずなのに あれっ? 他校の強豪卓球部の子も 一緒に入学したはずなのに みんな卓球部より 他の華やかな部活動を選択していました 高校でモテなくても 他の部活に入った同級生たちが 先に彼女を作っても 泣かない!! (AIさんに作成頂いた画像) 何度も何度も自分に言い聞かせて 自分の中に眠る自己暗示力を フルに開放した 高校1年生の春でした
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第10話

【迷いのピボットターン】 もう何年前の春か忘れましたが 無事、高校に進学し 部活動を考える時期を迎えていました 中学時代では 特に目立った成績を残すことなく しかも 盲腸により シレっと幕を閉じていたため 当然どこからも声がかかるわけなく 「家から近いから」 という理由で 最寄りの高校に進学しました まるで 有名バスケットボール漫画に出てくる イケメンキャラクターが言い放った カッコいい台詞のような感じですが 当時の私に選択できた公立高校は 今は無き制度「学区」の影響で たったの2校しかありませんでした しかし 入学直後の私の心の中は 2つの部活動で揺れ動いていました 進学した学校には何と! 「バスケットボール部」 が存在していたのです! 高校1年生 色気ついてくるお年頃 スポーツドリンクを片手に タオルで汗を拭くだけで 女子生徒に キャーキャー言われる部活動 ドリブルで華麗に抜き去ろうものなら 学校一のモテ男が決定する あの部活動 そんな勝手な妄想と偏見を 頭の中で繰り広げていた モテない男の頭の中は 迷いに迷っていました 何度も何度も 卓球部とバスケ部を見学し 卓球部を見て バスケ部を見て また卓球部を見て バスケ部を見る あの時 無意識に繰り出していた ピボットターンは 当時の県内でも 5本の指に入っていたと 勝手に想像しています (AIさんに作成頂いた画像) そんな迷いに迷った私が 入部した部活動は 一体・・・???
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第9話

【ボーナスチャンス】 あっけない中学最後の大会から 数か月後 地元の市民が参加する 卓球大会に出場することになりました 最後の大会を消化不良で終えた私に 卓球部の同級生とチームを組んで 大会に出場する機会がやってきました まさしく中学生最後の ボーナスチャンスでした 大会エントリー時 チームの名前を考える機会がありました というのも 一応、中学校の部活は引退扱い 学校の名前を 使用しても良かったのですが 卓球部の仲間は 私含めてみんな真面目でしたので 引退しているのに 学校の名前を使うのは申し訳ないし 自分たちで名前を決めようと 教科書通りの回答で全員一致しました 今回の大会 チームの中で 人一倍気合が入っていたのは 言うまでもなく 最後の大会を盲腸で棄権した私でした チーム名も 他のチームより目立たないといけない そんな意味不明な衝動にかられ 命名したチーム名は 「セーラームーン」 当時流行っていた 美少女戦士風のテレビアニメでした 主に女の子が観るアニメでしたが ひそかに私は観ていて 感銘を受けていました 仲間からは非難ごうごう でもキャプテンだったという 過去の称号を思いっきり使いたおし エントリー完了 試合当日 私は試合会場には姿を現しませんでした 諸般の事情により 急遽 私の代わりに顧問の先生が代役 理由が理由だけに 誰も責めはしませんでした しかし チーム名に関してだけは 全員から非難ごうごう 大会本部席からマイクを使って 会場全体に響く音声で試合のアナウンス (AIさんに作成頂いた画像) 「チーム セーラームーン」 「○○番の台で試合を行って下さい!」 勝ち進むたびに 大会本部席から 「チーム セーラームーン」 チーム名を考える時は 慎重に そして 仲間の意見を尊重する ENERGY SPORTSでも 教えられないかもしれない貴重なことを 学んだ中学生 本当の最後の大会でした
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第8話

【諦めたら そこで試合終了ですよ!】 バスケットボール部に 後ろ髪を引かれたくても 丸刈りなので 引かれない悲しさをこらえ 日々を過ごす思春期の私 そんな青春の1ページに 刻まれるとは思いもしない 中学生最後の 夏の大会がやってきました 当時参加した大会には 団体戦と個人戦があり 運よく 私は団体戦のレギュラーにも 個人戦にも 出場をすることができました 田舎の学校のしきたりみたいな 見えない力が働き 3年生全員がレギュラーに入り込む 激しい争いを乗り越え レギュラーの座をつかみ取ったぜ! そんなカッコいいことを 本当は言ってみたかったのですが 敷かれたレールの上を 素直に進みました その時だけは とても素直でした 団体戦は1校しか 次の大会には進出が許されず 県でも1位になったことがある 近隣の強豪中学校に 永年 苦汁を飲まされ続けてきました そんな時代を自分たちの代で 何とか変えようと 今まで必死に 和気あいあいと 独学で 練習を続けてきたかいもあってか 団体戦 次の大会には進出できず 幕を閉じました 時代を変えるのは なかなか難しかったようです 個人戦 2日間開催され 私は順調に2日目まで 勝ち進むことができました あと1人に勝てば 次の大会に進出できる! そんな大事な2日目 私は 会場には姿を現しませんでした かの有名な バスケットボール漫画の主人公が 試合当日の朝も自主練習をしたが ふと寝てしまって 試合会場に着いた頃には 試合が終わりかけていた そんなシーンがあります かの無名な田舎の卓球部の私が 試合当日の夜中に盲腸になり ふと病院に運ばれてしまって 試合会場にすら行き着くことができず 棄権を余儀なくされました これで 私の中学生最後の大会は 幕を閉じました いかにもあっけない青春の1ページ 諦める前に試合終了ですよ! (AIさんに作成頂いた画像) オフコースさんの名曲 「言葉にできない」 とてもとても素晴らしい名曲 心に染み入る名曲 もしもあの時 私がオフコースの 一員として活動していたら きっと私も 同じタイトルをつけていたと思います それぐらい 違う意味で染み入った 中学生最後の 私のエンディングソングでした
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第7話

【カムバック!バスケットボール部】 そんなこんなで いよいよ私も中学3年生 初々しい1年生を見ながら 「俺もあんな時代あったよな」って 吹かせたかった先輩風を 吹かせられず 黙々と部活動に励んでいた私 そんな中 号外なニュースが 飛び込んできました! 「バスケットボール部 再始動!!」 かつて世間を賑わしていた ビジュアル系ロックバンドが 再始動するみたいな感じですが とにかく衝撃でした! 諦めかけていた夢を もう一度 つかみ取れる かもしれないチャンスが 目の前にやってきたのです 当時の私は もうすでに卓球の虜 しかも 卓球部のキャプテンにも任命され チームを引っ張っていく立場 でも 心の片隅のどこかには バスケットボール部への想いも ピン球1個分くらいは存在していました 頭の中では ピン球とバスケットボールが 天秤にかけられる 卓球シューズとバッシュが 天秤にかけられる 今カノも良い子だけれど 元カノも良い子だったねって モテたことがない私が まるでモテ男だったかのように 妄想で天秤にかける それぐらい (どれくらい???) 迷いに迷ったあの時 そんな私にまたもや 号外なニュースが飛び込んできました 「バスケットボール部の入部条件」 「新1年生から!!」 衝撃でした! 夢って こんなにすぐに破れるんだね? バスケットボールの神様 マイケルジョーダンが フリースローラインから ジャンプしてダンクを叩き込む 「レーンアップ」くらい衝撃でした 少しでも浮ついた私が 恥ずかしかったです 卓球の神様に お詫び申し上げたいくらいでした そんな中学3年生になった私は 中学1年生の時から何の成長もなく 意気消沈を表に出さず 涙も見せず 「自分、卓球が好きっす!」 っていう感じを醸し出して 今度は卓球部キャプテンとして 卓球部に戻っていきました
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第6話

【ドギマギ 初めての】 人生で初めてのことって 何度も経験しますよね 従順ボーイの私にも 初めての卓球大会出場を 経験する時がやってきました 確か1年生だけが出場する 新人大会だったと思います しかも 卓球って今ほど人気がなかったので ごく限られた学校で 少人数の大会 相手の 超キレッ!キレッ!のドライブを 負けじと キレッ!キレッ!のドライブで打ち返す 幾度となく打ち込んでくる 相手のスマッシュを ロビングで耐えに耐えて 反撃のタイミングを虎視眈々と狙う 皆さんがYouTubeなどで 見られている卓球の試合 そんな感じだと思います かなり偏見ですが・・・ そんな皆さんがイメージされる 卓球の試合を 100で割って さらに1万点マイナスする そして さらに倍してマイナスをドン!! (AIさんに作成頂いた画像) 現実は・・・ えっ? 上回転のサーブを なぜツッツキで返すの? えっ? フットワーク弱いのに なぜオールフォアで挑んでいるの? えっ? 打てもしないのにカッコつけて なぜバックスマッシュしているの? またしても 卓球関係者以外を 置いてきぼりにしていますが それぐらい 初心者のような卓球の試合でした そんな卓球の試合 同じ学校の同級生に決勝で負けて 悔しい準優勝 決勝戦 本番に弱い 私の能力をいかんなく発揮して ツッツキばかりしていた 想い出が残っています エナジースポーツの 卓球コーチなら どういう指導を して下さっただろうか? そんなことを思いながら ドギマギ 私にとって甘酸っぱい 初めての試合を想い返していたのでした
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第5話

【3球目攻撃】 卓球台の使用許可が出ても 卓球初心者の集まり 通称「ウブな新1年生軍団」には どんな練習をして良いか分からず 当時はもちろん YouTubeのようなものはなく 練習は先輩を見て覚える または 試合会場で 他校の上手な人を見て覚える くらいしかありませんでした 従順ボーイが功を奏したのか あの時 見て覚える姿勢がなければ 恐らく今頃は 全然スゴくないけれど スゴそうに見えるだけの 薄っぺらい技を マイメロちゃんと一緒に 披露していたのかもしれません TikTokはこちら フォローしていただけたら嬉しいです さて 当時記憶にある練習は サーブを出して バック側に返ってきたボールを 回り込んでスマッシュする練習でした 卓球界隈ではそれを 「3球目攻撃」と呼んでいます 普段 攻撃的な言葉や態度で 接してこられる方は苦手ですが その時だけは心を鬼にして 攻撃していました しかし サーブと一言で言っても どういうサーブをどこに出して 回り込むと言っても どういう足の動かし方をして など 何も分からず 何も意識せず ただひたすら取り組んでいました 成長期における部活動や スポーツクラブなどにおいて 適切な指導がされる環境って とても大切だったのだと 今になって より強く感じています 当時もしも ENERGY SPORTSがあれば どうなっていたのかな? そんなセンチメンタルなことを 思い出しながら 今日もマイメロちゃんと一緒に 動画を撮影してこよっと!
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第4話

【ニッペン】 筋トレに明け暮れていた毎日 心に「癒し」という プロテインを与えてくれたのは 先輩が休憩される時にだけ出る 卓球台の使用許可 「マンモスうれ○ー!」と 叫びたくなるぐらいの感動 そして鼓動 許可の発令を合図に 陸上部のイケてる男子にも負けない スタートダッシュで 卓球ラケットを しかも 中学校デビューの おニューなラケットを まるでバトンのように握りしめ 卓球台に向かったものでした (AIさんに作成頂いた画像) 今までの壁ちゃんとの練習は 公式の試合では使えない いわばオモチャみたいな ラケットだったので 初めて公式の試合でも使える ラケットを持てたことも 「マンモスうれ○ー!」でした 筋力トレーニングに 明け暮れていたためか 卓球に必要なものは 筋力だけ! と思いこまされていた自分に 新しい気づきをくれたのは 卓球ラケットという存在でした 今でこそ卓球は 握って持つ 「シェークラケット」が主流ですが 当時の田舎では ペン持ちをするラケットが主流でした しかも 今はペン型のラケットを持つ方でも ラケットの裏面にも ラバーを貼る方が多いですが 当時は表面だけにラバーを貼る 日本式ペンホルダーラケット 通称「日ペン」が主流でした マイナー過ぎて 卓球関係者以外 全く興味を示さない内容に 危機感を持っています 当時の私の得意分野が 流行りに乗ることだったのかは 定かではありませんが 当時の主流から外れることなく 「ニッペン」卓球部員の1人として 細々と卓球人生をデビューしました 今となっては どういう選定の理由があったのか? 誰も分かりませんが 卓球未経験の顧問の先生が 「○○はこれね」って感じで 新入部員1人1人に 戦型を決められていく謎のシステム あの時・・・ もっと無理してでも 壁ちゃんと遊ぶより 異性と遊びまくっている感じで パリピな感じと イケイケな感じだったのなら 少しは違った ラケットが持てたのかな・・・? 丸刈りで 壁ちゃんが友達 やっぱり自分には 「ニッペン」がお似合いだったようです
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第3話

【壁打ちエブリデイ】 かの有名な サッカー漫画に出てくるセリフ 「ボールはともだち こわくないよ」 とても有名なセリフなので ご存知の方も多いと思いますが 筋力トレーニングに 明け暮れていた私にとって 唯一 卓球の練習相手をしてくれたのは 「壁」でした 「壁はともだち こわくないよ」 (AIさんに作成頂いた画像) 「なぁ、壁ちゃん!」 「青春って甘酸っぱいの?」 そんな会話を心の中でつぶやきながら ひたすら 壁にピン球を打ち続ける毎日でした えっ!? 壁にピン球を打ち込むなんて なんて非道なの! SDGsが強く推進されている現代 念じれば自分だけに見える 193個目のゴール 「壁の気持ちを考えよう!」 に違反する行為 壁打ちをご存知でない方には 卑劣な行為だと 思われるかもしれませんが 壁とラリーをするイメージで ピン球を 1回床にワンバウンドさせてから 壁に打ち放ち 返ってきたピン球を もう一度床に ワンバウンドさせて壁に打ち放つ これを繰り返すのが 壁打ちなんです 手品のタネがバレた手品師が 何事もなかったかのように 手品を続けるように しれっと壁打ちの説明をしましたが 1回床にワンバウンドさせているから 壁・・・ いや ここでは「壁ちゃん」と言おう 壁ちゃんの気持ちも考えて お互いを高め合っているのです (何を?) そして何よりも 壁ちゃんとの練習を通じて 相手のことを思いやる心が 育まれたと思います (えっ?) 今思うと・・・ 壁打ちで基礎的なフォームが 鍛えられたと思いますし 今でもそれは活きている気がします なぜなら 卓球の実績や技術含め その他ほとんどの卓球能力は 「0」ですが フォームが少し整っているだけで 「あいつ!」 「なかなか出来る奴じゃない?」と 周りに 大きな勘違いを生めるからです つまり見た目 やっぱり人って 心じゃなくて 見た目が大事だなと 上っ面なことを学んだのも 壁打ちでした ちなみに・・・ ENERGY SPORTSのコーチからは 上っ面なことではなく 中身の濃い内容を お伝え頂けますのでご安心ください! 壁ちゃんとの合同練習は 甘酸っぱい青春の思い出として 今も心のどこかに生き続けています
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第2話

【目覚めのカウンタースマッシュ】 「空気椅子」 令和の時代の子どもたちは どういうイメージを持たれるだろうか? きついトレーニング? 時代遅れなトレーニング? 昔、流行ったシャレオツな椅子? 意気消沈して入部した卓球部 滋賀の田舎の中学校は まだまだ年功序列時代 中学3年生が一番偉く 次に2年生 そして 1年生は卓球台も使わせてもらえず ひたすら 筋力トレーニングの毎日でした 中学校に入学するまで まともに筋力トレーニングを したことがない私が いきなりハードなトレーニング 体も出来ていない成長期の段階で いわゆる気合と根性的なトレーニングを あの当時は疑いもせず ただ言われた通りにこなす毎日でした 中でも空気椅子はツラく 生まれてから椅子は座るものと 教えられてきた私にとって 膝を90度に維持し 見えない椅子に座っているかのように 何分も耐えなければならない あのトレーニングは 意気消沈して入部した卓球部からの 目覚めのカウンターパンチ あえて卓球部風に言うと 「カウンタースマッシュ」でした (AIさんに作成頂いた画像) 椅子が無いのに そこに椅子があると信じる 徳永英明さんは 「夢を信じて 生きてゆけばいいさと」 そう歌っておられましたが 中学時代の私は 椅子があると信じて 耐えればいいさと 歌詞を頭で書き換え 毎日プルプル足腰を震わせながら 言われたことを素直に実行していました そんな従順ボーイの 卓球部人生は続くのでした
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